
カラカルパクスタン共和国とアラル海の旅|知られざる中央アジアの絶景と消えゆく湖
目次
Toggleウズベキスタン西部に位置するカラカルパクスタン共和国(Republic of Karakalpakstan)は、広大な砂漠と独自の文化を持つ地域です。
特に、かつて世界第4位の面積を誇ったアラル海の残骸が作り出した異世界のような風景は、多くの旅行者を惹きつけています。
この記事では、この地域の見どころや魅力を紹介します。
カラカルパクスタン共和国とは

カラカルパクスタン共和国(Republic of Karakalpakstan)は、ウズベキスタン内にある自治共和国で、独自の文化と歴史を持つ地域です。
カラカルパク族が主要な民族であり、彼らの言語であるカラカルパク語も公用語として使用されています。
乾燥した気候と広大な砂漠地帯が広がり、農業や漁業が伝統的な産業でしたが、アラル海の縮小によって大きな影響を受けました。
カラカルパク族の伝統文化

カラカルパクスタンでは、カラカルパク族独自の文化が今も受け継がれています。
彼らの伝統的な住居「ユルト」や、繊細な刺繍が施された衣装は、一見の価値があり。
また、地元の祭りでは、伝統音楽やダンスを楽しむことができます。
アラル海とは

アラル海(Aral Sea)は、かつてカザフスタンとウズベキスタンの間に広がっていた内陸湖で、ソビエト連邦時代には世界で4番目に大きな湖として知られていました。
しかし、20世紀後半から急速に縮小し、現在ではほとんどが干上がり、アラル海の名残としていくつかの小さな湖が残るのみとなっています。
残された湖の一部や干上がった湖底には、打ち捨てられた漁船が並ぶ「船の墓場」が広がり、まるで別世界のような景観を生み出しています。
特にムイナクの町は、アラル海の消失を象徴する場所として有名です。
アラル海消滅の理由

アラル海の消滅は、主にソビエト連邦時代の灌漑政策によるものです。
1960年代以降、綿花栽培を目的としてアムダリヤ川とシルダリヤ川の水が大規模に取水されました。その結果、アラル海への流入量が減少し、湖の水位が急速に低下。これにより、湖の生態系が崩壊し、漁業も衰退しました。
また、湖底が露出したことで有害な塩分や化学物質が風で巻き上げられ、周辺地域の環境と健康にも深刻な影響を及ぼしています。
カラカルパクスタン共和国の観光MAP
カラカルパクスタン共和国の観光スポット

ウズベキスタンの一部でありながら、独自の文化を持つカラカルパクスタン共和国には、ウズベキスタンとはまた違った魅力があります。
あまり観光客のいないこのエリアは冒険に溢れています。
①アラル海歴史博物館

アラル海歴史博物館は、カラカルパクスタン共和国に位置する、かつて世界第4位の面積を誇ったアラル海の歴史と環境変化を学べる場所です。
ソ連時代の大規模な灌漑政策によって縮小したアラル海の環境破壊や、地元住民の生活への影響を伝える展示があり、実際の漁船や漁業道具、写真資料を通じて、アラル海の過去と現在を知ることができます。
展示スペースは小規模ながら内容がわかりやすくまとめてあり、環境問題に関心のある人におすすめのスポットです。
②アラル海ビーチ(Aral Sea Beach)

アラル海ビーチ(Aral Sea Beach)は、かつての広大なアラル海の名残を感じられる場所で、現在は干上がった湖底が広がる荒涼とした景色が特徴です。
水が残る場所では、わずかにビーチのような雰囲気を楽しむことができますが、かつての漁港は砂漠化し、船の墓場と呼ばれる錆びついた船が点在しています。
このエリアは環境問題の象徴としても有名で、訪れることで地球規模の環境変化の現実を実感できる貴重な場所です。
③ウストゥルト台地(Ustyurt Plateau/Canyon)

アラル海の西側には、荒涼とした大地が広がるウストゥルト台地があります。
大自然の驚異を感じる断崖絶壁や奇岩が連なるこの地域は、まるで月面のような景観を楽しめるスポットです。
ここでは、野生動物を観察したり、星空観賞を楽しんだりすることができます。
④首都ヌクス(Nukus)

首都ヌクスは、カラカルパクスタン共和国の文化の中心地。独自の文化と芸術が息づく町です。
特に有名なのがサビツキー美術館で、ロシア・アヴァンギャルドの貴重なコレクションが展示されています。また、地元のバザールでは、カラクルパク民族の伝統工芸品や手織りの絨毯を購入することもできます。
⑤ミスダクハン(Mizdakhan)

ミズダハン(Mizdakhan)は、ウズベキスタン西部のヌクス近郊にある古代墓地遺跡で、紀元前4世紀頃から使用されていたとされる歴史的な場所です。
この遺跡には、イスラム時代の霊廟や墓石が点在しており、神秘的な雰囲気が漂います。特に有名なのは、預言者ジョラム(Jorham Prophet)の霊廟で、多くの巡礼者が訪れます。
また、「崩壊する時計の墓」と呼ばれる墓があり、この墓が完全に崩れたときに世界が終焉を迎えるという伝説もあります。歴史と信仰が交差する、魅力的な遺跡です。
⑥ウルガ博物館(Urge museum)

ウルガ博物館(Urge Museum)は、カラカルパクスタン共和国にある歴史・文化に特化した場所で、カラカルパク族の伝統に焦点を当てています。
歴史的建物がそのまま使用されており、この地域特有の文化や生活を深く理解できる施設です。展示品などはなく、語り部の人がお茶を入れてくれながら歴史について語ってくれます。
観光客にはあまり知られていませんが、歴史や民族文化に興味がある人にはおすすめです。
⑦ユルトキャンプ(Discovery Yurt Camp)

辛うじて残るアラル海を見渡す丘に建つDiscovery Yurt Camp。ここからの眺めは最高で、静かな時間を過ごせます。
カラカルパク族の家族が管理しており、手作りの地元料理を食べながら、夜は星明りの下でカラカルパクスタン共和国の歴史やアラル海について話をしてくれました。ときにはアカペラで歌をうたってくれることも。
限りなく自然に近い中で消えゆくアラル海を眺めながら、地球で自然と共存することの大切さを見つめ直す良い機会となりました。
カラカルパクスタン共和国への行き方

タシケントから首都のヌクスへは国内線のフライトが運行しています。
私はブハラ、ウルゲンチを観光した後、バスでヌクスまで移動し、1泊2日のツアーに参加しました。
アラル海の周辺は公共交通はなく道もわかりづらいため、広く観光するためにはツアーに参加することをおすすめします。
カラクルパクスタンのツアーをチェック
カラカルパクスタンのおすすめツアー

船の墓場まではヌクスから日帰りツアーが出ています。
時間と予算に余裕があれば、アラル海やウストゥルト台地、ミスダクハンなどを巡るツアーがおすすめ。1泊のツアーで安全かつ効率的にカラカルパクスタン共和国の人気スポットを観光できます。
ただしツアーの数が比較的少ないので、行きたい人はツアーを先に決めてから日程を決めたほうが良いです。
私はこのツアーに参加しました。ツアーを見る
カラカルパクスタン共和国観光のベストシーズン

春(4~5月)と秋(9~10月)が訪れやすい季節です。私は5月に行きましたが、暑くもなく寒くもなくちょうどよい感じでした。
ただし、砂漠地帯のため、日中と夜の寒暖差が大きいので、防寒具が必要です。日中のアラル海付近は熱く感じることもあり、夜は肌寒く感じることがあったので、脱ぎ着できるジャケットなどで調整できるようにしておきましょう。
Lapinの旅行記:カラカルパクスタン共和国&アラル海編

ウズベキスタン内のカラカル・パクスタン共和国からカザフスタンへとまたがるアラル海。この海の存在を知ったのはウズベキスタンに来てから。
少し遠く、行くかどうするかぎりぎりまで迷ったけれど、やはり今見ておかなくてはと思い行ってきました。

カラカルパクスタン共和国とか首都ヌクスとか、全然下調べなしだったので、見ること聞くことが全て新鮮。ツアーに参加したらもれなくついてきた情報の多さに圧倒されます。
強烈なインパクトを受けたミスダクハン。不思議な場所で、その歴史もミステリアス。通り過ぎずにここへ寄ることができてよかった。
旅って偶然出会った場所のほうが先入観もなく楽しめるものだったりするよね。
ってここ古代人のお墓遺跡だよね。人のお墓を楽しんでちゃダメか。
途中立ち寄ったウルガ湖。
ここも湖がどんどん小さくなって、今はもう本当に水たまり程度。カヌーでさえも浮かべないほど。
昔、魚の缶詰工場だった場所は、名前ばかりの博物館になっていて、おじさんが1人寂しくそこで暮らしてた。
漁師村だったここは、今はもうおじさん以外誰もいない。
ユルトキャンプの丘にはWelcome Aral Seaの文字。
この日は私たち4人のグループと他3人のグループだけ。
遠くに見えるアラル海を眺めながら静かな時間を過ごします。数年前までこのすぐそばまでアラル海だったのに、今ではあんなに遠くなって、と話すオーナーさんは寂しそうでした。
ユルトのオーナーは4人家族。やんちゃなお姉ちゃんと弟と一緒に遊びます。カメラに興味津々!いいんだけど、落とさないでね。ぶつけないでね、とハラハラ・・
このキャンプの裏は丘になっていて、絶好の見晴らし。夜の星空はとにかく綺麗!でも写真撮影は大失敗・・。
夜は、ユルトの中でカラカルパク族の伝統料理を食べながら、ここの歴史やアラル海のお話を聞きます。この話はすごく興味深かった。ろうそくの光でそんな話を聞いていたら、どこかへタイムスリップしてしまった気分に陥ります。
アラル海は「20世紀最大の環境破壊」と言われるソ連の自然改造計画で、綿花栽培のために海に注ぎ込んでいた川の流れを変え、たった半世紀で海は5分の1まで縮小し、周辺環境は大きく変わったのだそう。
湿地帯は干上がり、植生が砂漠の植物に変わり、渡り鳥が巣を作れなくなり飛来しなくなった。海水の塩分濃度は1993年に海水を越えて、2000年には海水の2倍に達し、塩分に強いはずのカレイですら死滅して漁業が不可能になった。湖の中にあったバルサケルメス島やヴォズロジヂェニエ島、コンスタンチン島などは地続きになり、バルサケルメス島のクランはオオカミの脅威にさらされ個体数が激減した。細菌兵器の開発が行われていたヴォズロジデニヤ島では細菌の流出が危惧された。こうしてアラル海周辺の多くの生物が死滅し、漁業や魚肉加工業や毛皮産業が衰退し、9割の漁民が他地域に移住・転廃業して、いくつもの村が廃村になった。追い討ちをかけるように、干上がった湖底から砂嵐が舞い上がり、塩害により住民の健康被害や植生の破壊を引き起こした。
消えてしまったアラル海と今残るアラル海を見て思ったこと。
地球って宇宙に生まれた唯一の生命体が存在する奇跡の星。
美しい水や緑に守られて私たちは生きている。
もっと自然の恵みを大事に思い共存共栄しなくてはいけない。
自然が自然の力や地殻変動によって変わるのは仕方ないけれど、人の手によって、人の事だけを考えて好き放題に変えていくのはやっぱり不協和音を呼んでしまう。
もっと自然に寄り添って生きなくちゃって思う。
どの国も人間が住みやすいようにやりたい放題自然を破壊してきた時代があったけれど
自然が住みやすいようにとか
上手く共存出来るようにとか
考え始めるのが遅かった結果がここ。
今はみんな環境保護については考え始めているとは思うけれど…。

かつて海だった場所から、今も残る海を求めて元海底の、今は砂漠化した地をひた走ります。
約3時間、どれだけ大きな海だったのか思い知らされます。
酷い時はたった1日で10mも潮がひいてしまったこともあるのだそう。
海は悔しかっただろうな。
どうして自分が消えていかなくてはいけないんだとうって。
船はびっくりしただろうな
おいおい、俺の居場所はどこ行ったって。
漁師は驚いただろうな。
朝目が覚めたら海がいないなんて。
当時この事態に対して、政府側の人間に「アラル海はむしろ美しく死ぬべきだ」なんて言った人がいるのだそう。ばかげてる。
元海底の気持ちってどうだろう。
魚やサンゴが恋しいかな 。
青い海水が恋しいかな 。
失くした一部を探しているように
失くした一部が帰って来るのを待っているかのように
砂漠は少し寂しそうでした。
船の墓場と言われたり、潰れた缶詰工場や加工場のあとばかりで
たった60年前までは漁業で賑わった町だったとは想像もできない。
海の消えた町、ムイナク。
消えてしまう前に
この存在を確かめたかった。
アラル海はここにある。
今まだここにある。
カラカルパクスタン共和国とアラル海観光のまとめ

カラカルパクスタン共和国とアラル海は、壮大な自然と消えゆく歴史を目の当たりにできるユニークであり、少し感慨深くなる旅行先です。
美しいが切ない風景と、独自の文化を持つこの地域を訪れ、中央アジアの隠れた魅力を体感してみてはいかがでしょうか?


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