
ペリリュー島戦跡ツアー体験記|激戦の歴史が残るパラオ・忘れられた島を訪れて
目次
Toggle青く美しい海のイメージが強いパラオ。
しかし、この国には太平洋戦争の激戦地として、多くの命が失われた歴史も残されています。
そのひとつが、パラオ南部にある「ペリリュー島(Peleliu Island)」です。
今回私は、実際にペリリュー島を訪れ、戦跡や慰霊の地を巡ってきました。
これまでにも、パプアニューギニア(Papua New Guinea)やソロモン諸島(Solomon Islands)などで戦跡巡礼をしてきましたが、ペリリュー島は特に胸に迫るものがあり、精神的にも非常に重い場所でした。
この記事では、ペリリュー島の歴史や行き方、実際に訪れて感じたことをまとめています。
ペリリュー島とは

ペリリュー島(Peleliu Island)は、パラオ南部に位置する島民約400人、面積13k㎡ほどの小さな島。美しい南国の風景とは対照的に、島には今も戦争の爪痕が色濃く残されています。
現在は静かなペリリュー島ですが、1944年9月から約2ヶ月半にわたり、太平洋戦争の激戦地となった場所として知られています。
当時、日本軍約1万人に対し、米軍は約4万人。
米軍は、当初「3日で終わる戦闘」と予想していたものの、日本軍は洞窟陣地を利用した持久戦を展開し、戦闘は長期化しました。
しかし、圧倒的な物量差の前に戦況は厳しく、多くの命が失われる結果となりました。
戦後もなお、終戦を知らずに1947年まで洞窟に潜み続けた日本兵34名がいたという話は、あまりにも有名です。
現在でも島内には戦争の痕跡が数多く残されており、「忘れられた戦場」と呼ばれることもあります。
また、島には今なお多くのご遺骨が残されているといわれ、遺骨収集も続けられています。
上皇陛下ご夫妻が慰霊のために訪問された場所としても知られています。
ペリリュー島の場所と行き方
ペリリュー島は、コロール島から南西約40㎞、スピードボートで約1時間15分のところにあり、コロールからツアーに参加して訪れるのが一般的です。
多くはボートとバスを利用した日帰りツアーで、戦跡をガイド付きで巡ります。
島内は公共交通機関がほとんどなく、不発弾が未処理の箇所もあるため、個人で回るよりも歴史解説のあるツアー参加がおすすめです。
出発前の予備知識をまとめた▶パラオってどんな国?治安や歴史など旅行前に知っておきたい基本情報【2026年度版】もあわせてご覧ください。
私が参加したペリリュー島戦跡ツアー概要

今回私は、ロックアイランドツアーカンパニー(RITC)の戦跡を巡る日帰りツアーに参加しました。
ツアーでは、戦車や砲台跡、洞窟陣地、慰霊碑、旧日本軍司令部跡などの要所を巡り、ガイドの説明を聞きながら歴史を学びました。
ガイドの説明も明確で効率的に周れ、非常によかったです。
ペリリュー島戦跡ツアー
所要時間:約7.5時間
大人$146
小人$94
公式サイト(予約):https://palauritc.com/
11泊10日のパラオ旅行でかかった費用はこちらの記事にまとめています。
▶パラオ旅行の費用はいくら?実際にかかった旅費を公開【実体験ベース】
旅行プラン作成の参考にしてください。
ペリリュー島戦跡ツアー詳細
①千人洞窟(Thousand Man Cave)

ペリリュー島の戦跡の中でも、特に強い緊張感を感じた場所のひとつが「千人洞窟」です。
この洞窟は、日本軍が防衛拠点として使用していた場所で、内部には多くの兵士が身を潜めていたといわれています。

現在も洞窟内には当時の痕跡が残されており、暗く湿った空間に入ると、ここが実際の戦場だったことを強く実感しました。
ガイドの説明を聞きながら歩いていると、わずかな光しか入らない洞窟の中で、兵士たちがどのような状況に置かれていたのかを想像せずにはいられません。
②ペリリュー第二次世界大戦記念博物館(Peleliu World War II Memorial Museum)

ペリリュー島の歴史を学ぶうえで、最初に訪れておきたい場所のひとつが「Peleliu WWII Museum」です。島内の戦跡を巡る前に訪れることで、ペリリュー島で何が起きたのかを理解しやすくなりました。
館内には、当時の写真や資料、戦争で使われた道具などが展示されており、激戦の歴史をより具体的に知ることができます。

家族送られた手紙もいくつかあり、それらには、どれも「こちらは大丈夫だから心配するな、家を頼む。」というような前向きな文章が綴られており、深い愛情と希望を感じ、こみあげてくるものがありました。
静かな空間の中で展示を見ていると、この島がかつて戦場だったことを改めて実感させられます。
③戦没者慰霊碑みたま(War Victims Memorial Monument)

「戦没者慰霊碑みたま」は、戦争で亡くなった方々を弔う墓地です。穏やかな南国の景色とは対照的に、ここには静かな祈りの空気が流れていました。
多くの命が失われた歴史を前にすると、慰霊という言葉だけでは語れない場所だと感じます。

現地で手を合わせながら、平和について改めて考えさせられました。
そして、この場所をいつも整備し、戦跡を保つことで現代を生きる世代に記録として残してくださっている現地の方たちにも感謝の言葉を伝えたいです。
④旧日本軍武器庫跡

もともとは日本軍の武器庫だった建物で、以前は、ペリリュー第二次世界大戦記念博物館(Peleliu WWII Museum)として使われていたそうです。
建物が老朽化したため博物館は別の場所に移動し、現在は外観だけの見学となっています。

建物には爆撃を受けた跡が生々しく残されており、その傷跡からは、壁の厚み、そしてその頑丈に作られた壁をも破壊した爆撃の強さを物語っています。
建物自体にも歴史が残されており、戦争の記憶を今に伝える場所となっていました。
⑤日本軍総司令部跡(Japanease Military Headquarters)

ジャングルの中に残る「日本軍総司令部跡」。
コンクリートの建物は今も残されており、自然に囲まれながら静かに佇んでいました。ここが実際に作戦指揮の拠点だったと聞くと、当時の緊張感を想像せずにはいられません。

建物の中心に爆弾が落ちた跡があり、壁には多くの銃痕が残されています。
粉々になったトイレやふろ場跡、天井に残る大きな爆撃跡など、戦争遺跡としての重みを感じる場所でした。

⑥米陸軍第81歩兵師団慰霊碑(81st Infantry Division Memorial)

米軍第81歩兵師団を慰霊する記念碑。
ペリリュー島では日本軍だけでなく、多くの米兵も命を落としています。
この場所では、戦争に「勝者」も「敗者」もなく、多くの命が失われたという現実を改めて感じる場所でした。
静かな島の風景の中に立つ慰霊碑が悲しげで、とても印象に残っています。
⑦オレンジ・ビーチ(Orange Beach)

「オレンジ・ビーチ」は、米軍が使用していたコードネームに由来する名前で、1944年9月15日に米軍が最初に上陸した場所として知られています。
当初、米軍は「数日で終わる戦闘」と想定していましたが、待ち構えていた日本軍の一斉射撃により、海は真っ赤に染まったとも伝えられています。
現在は美しい海が広がっていますが、かつてここで激しい戦闘が始まった場所だと思うと、景色の見え方が変わりました。
穏やかな海と、そこに刻まれた歴史との対比が強く印象に残る場所です。
⑧2015年4月9日 天皇皇后両陛下ご休憩処

2015年4月9日、上皇陛下ご夫妻(当時の天皇皇后両陛下)がペリリュー島を訪問された際のご休憩処。
慰霊の旅としてこの地を訪れ、犠牲者へ祈りを捧げられたことは、多くの日本人にとって大きな意味を持つ出来事だったと思います。

それはここペリリュー島でも同じで、ご訪問以降、4月9日は島の祝日に指定されているそうです。
現地を訪れると、その静かな祈りの時間が今も残されているように感じました。
Lapinメモ:
このツアーではここがランチタイムの場所でした。
ここにはおトイレもあります。
⑨ペリリュー平和記念公園(Peleliu Peace Memorial Park)

ペリリュー平和記念公園は、西太平洋戦争の犠牲者を慰霊し、世界平和への願いを込めて整備された公園です。園内には慰霊碑が建てられ、静かな空気が流れていました。
この公園があるオムルウル岬からは、ペリリュー島と同様に、第二次世界大戦の激しい激戦の末、玉砕した歴史を持つアンガウル島を望むことができます。

激戦地だった島で、「平和」という言葉の重みを改めて感じた場所でもあります。
多くの人がこの場所を訪れ、歴史を知り、平和について考えるきっかけになればと思いました。
⑩日本軍防空壕・大砲跡(Japanese Military Air-Raid Shelter&Cannon)

島内には、日本軍の防空壕や大砲跡、さらに米軍の水陸両用戦車(LVT)なども残されています。
錆びついた兵器が今もそのまま残されている光景は、まるで時間が止まったようでした。

大砲の裏にはいくつかの壕があり、壕の前には銃弾跡の残る土を盛ったドラム缶がいくつも置かれています。それは銃撃を受けても貫通せずに食い止めるための施策。
そのため、ドラム缶の土の中には今もたくさんの銃弾が撃ち込まれたままだそうです。

ジャングルの中に残る戦争の痕跡を前にすると、この島で起きた戦闘の激しさを強く感じます。残された戦跡からは、アメリカとの物資的な違いもよくわかりました。
手掘りの洞窟やこのドラム缶での防御。戦闘機の操縦士を守る仕様も日本とアメリカでは雲泥の差でした。
当時の兵士たちの苦労や気持ちを思うと、ただただ涙が溢れます。
⑪ペリリュー神社(Peleliu Shrine)

ペリリュー島には、神社も残されています。
現在のペリリュー神社は戦後に再建されたものですが、この地で亡くなった人々への祈りの場所となっています。
静かな森の中に佇む姿が印象的で、心を落ち着けて手を合わせたくなる場所です。

同じ敷地内には米軍の第一海軍の慰霊碑(First Marine Division Monument)も建てられており、ここでもやはり、戦うということは両方に傷を残すことなのだと改めて感じました。
本当に、この世から争いがなくなることを願わずにいられません。
⑫ブラッディノーズリッジ(大山) Bloody Nose Ridge

「ブラッディノーズリッジ(Bloody Nose Ridge)」は、ペリリュー島の戦いの中でも特に激戦となった場所です。
大山小山の間の渓谷は、険しい地形を利用した日本軍の防衛によって米軍も大きな被害を受けたといわれており、Death Valley(死の谷)と呼ばれていたそうです。
現在は静かな景色が広がっていますが、崖の中腹には日本兵の隠れ家だった洞窟が各所にあり、ここで激しい戦闘が繰り広げられていたことを思うと、胸が締め付けられるようでした。
米陸軍第323歩兵連隊記念碑(US Army 323rd Infantry Memorial)が置かれている山頂からの景色は美しい一方で、その場所に刻まれた歴史の重みを強く感じます。
⑬中川大佐自決の地(The Place of Colonel Nakagawa's Death)

大山の奥深く、「中川大佐自決の地」は、ペリリュー島守備隊司令官・中川州男大佐が、激しい戦闘の末、ここで最期を迎えたとされていました。
しかし、その後の米軍からの情報により、実際はここが自決した場所ではなかったことが判明しています。ですが、実際の地まで訪問することは困難なため、この場所がペリリュー島の戦いを象徴する場所のひとつとして慰霊する場となっています。

現地は静かな空気に包まれていましたが、その歴史を知った上で立つと、非常に重いものを感じました。
多くの兵士たちが命を落とした戦いの終焉を思うと、言葉を失います。
⑭日本軍帰還者34名の洞窟(Japanese Military 34 Returnees Cave)

この洞窟は、終戦後もなお援軍が来ることを信じ、1947年まで潜伏を続けた日本兵34名にゆかりのある場所です。
戦争が終わったことを知らず、約2年半もの間、この洞窟で生き延びていたという事実は、実際に現地を訪れるとより現実味を帯びて感じられました。

暗く閉ざされた洞窟の中で、彼らがどのような思いで過ごしていたのかを想像すると、胸が締め付けられます。
ペリリュー島の歴史を語るうえで、非常に印象深い場所のひとつです。
実際にペリリュー島を訪れて感じたこと

実際に島を歩いてみると、言葉では表現しきれない重い空気を感じました。
ジャングルの中には、今も壕や洞窟が残され、錆びた戦車や砲台が静かに残されています。

自然に覆われつつある一方で、そこが確かに「戦場」だったことを、島全体が物語っているようでした。
特に印象的だったのは、終戦後も援軍が来ることを信じ、1947年まで洞窟に潜み続けた日本兵たちの話です。
どんな思いでその時間を過ごしていたのかを想像すると、胸が締め付けられるようでした。

また、現在でも島には多くのご遺骨が残されていると聞き、この場所の歴史がまだ終わっていないことも実感しました。
不発弾の処理が終わっていない場所も多く、ジャングル内を気軽に歩き回ることはできません。赤と白の杭があちこちに打たれており、白側は処理済、赤側は未処理を意味するそうです。

ペリリュー島は、観光地として「楽しかった」と表現するのが難しい場所かもしれません。それでも、実際に訪れたことで、戦争や平和について改めて考えるきっかけになりました。
美しい南国の景色の裏に、こうした歴史があることも多くの人に知って欲しいです。
パラオ全体の観光スポットは、
▶実際に巡って選んだパラオ観光おすすめ15選|心に残る絶景・自然美・文化体験
で紹介しています。あわせてチェックしてみてください。
知っておきたいアンガウル島のこと

アンガウル島(Angaur Island) は、パラオ南部に位置する小さな島です。ペリリュー島と同じく、第二次世界大戦では激戦地のひとつとなり、現在も戦争の痕跡が多く残されています。
名前を聞く機会はそれほど多くありませんが、実はこの島、「日本語」が深く関わる、非常に興味深い歴史を持つ場所でもあります。
■世界で日本以外唯一、日本語が公用語?

アンガウル島は、「日本語が公用語として認められている世界でも珍しい場所」として知られています。
現在の日常会話で広く日本語が使われているわけではありませんが、歴史的背景から、日本語が公用語のひとつとして扱われています。
これは、かつてパラオが日本の委任統治領だった時代の名残でもあります。
当時、多くの日本人がパラオへ渡り、学校やインフラ整備などが行われました。その歴史の影響が、現在も一部地域に残されているのです。
■実はかなり行きづらい島
アンガウル島は、一般的な日帰り観光ツアーはほとんどありません。そのため、訪問する場合はプライベートツアーや個別手配になることが多いようです。
さらに、海況や天候の影響を受けやすく、船が出られない日もあります。
実際、私自身も今回訪問を検討していましたが、天候やスケジュールの関係で断念しました。アクセス難易度が高い分、“行けたら貴重な体験”になる島ともいえるかもしれません。
■観光地というより「歴史を感じる島」
アンガウル島は、日本統治時代の名残や戦争の歴史を静かに感じられる場所です。パラオの海だけでなく、その背景にある歴史にも興味がある方にとって、非常に興味深い島ではないでしょうか。
私もまた、いつかチャンスがあれば訪問してみたいです。
自分で周ってみて、これだ!と思うパラオのおすすめモデルコースを、▶パラオ旅行は何日必要?日数別おすすめモデルコースと旅のコツ【実体験ベース】 の記事でまとめています。こちらもぜひチェックしてみてください。
ペリリュー島訪問時の注意事項

暑さ・熱中症対策を忘れずに
ペリリュー島は非常に暑く、日差しも強いため、帽子や飲み物、日焼け対策は必須です。戦跡巡りでは屋外を歩く時間も長いため、動きやすい服装がおすすめです。
足元に注意
戦跡周辺には足場の悪い場所や滑りやすい場所もあります。洞窟やジャングルを歩くこともあるため、サンダルよりスニーカーなど歩きやすい靴が安心です。
軽い気持ちで入らない
ペリリュー島は観光地であると同時に、多くの命が失われた場所でもあります。
現在も遺骨収集が続けられている地域もあり、慰霊の場所であることを忘れず、敬意を持って訪れることが大切です。
ペリリュー島戦跡ツアー体験記まとめ

パラオというと、美しい海やリゾートのイメージを持つ方が多いと思います。もちろんそれもパラオの大きな魅力ですが、この国には忘れてはいけない歴史も残されています。
ペリリュー島は、観光地というより、“歴史の現場”という言葉がふさわしい場所でした。
決して気軽な気持ちだけで訪れる場所ではありません。ですが、日本から比較的訪れやすい場所に、こうした歴史の現場が残されていることには大きな意味があると感じました。
少しでも多くの人がこの場所を訪れ、戦争とは何か、平和とは何かを考えるきっかけになればと思います。
※当記事の情報は実際に旅した際の体験と、調査時点の情報をもとに執筆しています。可能な限り正確を期していますが、万が一情報に誤りや更新漏れがある場合は、お手数ですが「https://tabilapin.com/contact/」よりご連絡いただけますと幸いです。確認の上、迅速に対応・修正いたします。
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